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複数人による交換日記

エスカレーターの終点で落ち葉が回っている

 

テステス

東京メトロのある駅、上りエスカレーターの終点に落ち葉が溜まっていた。机の上に置いていた食べかけのういろうが使用済みのコンドームに見えた。再配達の依頼を午前中にしたのは自分だけれどもまだ来ないでほしかった。文字数に愛を込めて。とりあえず1000字。書くことのリハビリをしたいと長いこと思っていてこれはいい機会だと思っていたけれど、別にリハビリなんて言えるほど以前書いていた訳でもなかった。一度も手に入れたことのないものを取り戻そうとしがち。自分を含めた大部分の人にとって、書けば書くほど、正確には書こうとすればするほど、書こうと思っていたはずのものが遠ざかっていくということは自然なことで、ペンもしくはキーボードに触れていないときにもっとも何かが書けそうな気がしているのもフツウなことなのだと思う。書いていないときに一番書ける気がしていて書いているときに一番書けない気がしている。でも中には気付いたら書いている/書けている人もいるようで、そういう人が羨ましい。そういう人は「書いていないとき」のあの無為で当てにならない「何かが書けそうな感じ」を経由せずに、もしくは一瞬経由したとしてもそこにいたずらに浸ることなしに、書いている状態になっているように見える。それはそう見えるだけで、彼らには彼らなりの「書いていないとき」の時間があるのかもしれないし、あるに違いないのだけれど、彼らはその「書いていないとき」との付き合い方が上手なのだと思う。はなし変わって(本当に変わる)、カメラが欲しいとこれもまた長いこと思っていて、それがどうしてなのか判然としていなくてその不透明をそのままにしたままではなかなか購入に至らない至れないナアとなっていた、が、はっとした文章が岩淵さんのこの連載「10年後の遭難フリーター」vol.8 2011年、大森靖子さんにあった。「撮影する、ということは、相手から許されている、という気持ちが底にある」というのは皆がそうとは言えないけれど、自分は明らかにそういう快を求めてカメラを向けているときがある、それがすべてじゃないだろうけれど。1000字。なんのこっちゃ。全く書簡らしさのようなものは無いけれど取り敢えずこれでいいのだと思う。次はあなた。

 

 

 

 

 

「暇だねえ」
「暇だねえ」
「なんかしたいことある?」
「形にしてみたい」
「何を?」
「何かを」

 

 

 

 

 

  • 居直りを許してお詫びにサッカリン
  • 欲しいのは優しさじゃないアミラーゼ
  • 会えたのに邪魔をしないでポロロッカ