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複数人による交換日記

ジッタリンジンのお湯割り

目覚まし時計の音がトカトントンだから何にも夢中になれない女が昼からジッタリンジンのお湯割りを飲んで眼精疲労の千駄木ワルツを踊っている。

 

中島らものエッセイ集『僕にはわからない』 のなかに「人は死ぬとどうなるのか」という5ページの文章がある。その文章では「『生』の対立概念として「死」というものを持ってくるから話がおかしくなる」というところから話が始まってバタイユの「連続」と「不連続」を引き合いに出して最終的に「我々の死、つまり個々の不連続が全体の連続を支えているのだ。その意味で我々は『永遠に死なない』と考えても誤りではない」といったことが述べられたりしている。この「『永遠に死なない』と考えても誤りではない」という捉え方を実は気に入っている。もちろんこの話はひとつ前のさみしい文章にて書かれた問題と前提においてすれ違ってはいるけれども、さみしい投稿を読んで真っ先にこの「永遠に死なない」話が脳裏を去来去来去来去来去来した。

 


桂枝雀 中島らも 対談

この動画の序盤で「永遠に死なない」話と同じようなことを言っている。でもこれは「あんなものはタダでよいのだ」が好き。
また同じ文章のなかで、「僕という個の存在は、僕の精子が一人の女性の卵子と結合した瞬間にその存在意義を完遂している」という箇所があって、ここに至る道筋は面倒なので詳述しない(のでこれだけ読んでも汲みがたいだろうけれどけど、これは全体と個、種と個という見方からはその通りともいえる(「その通りともいえる」というのはなんて卑怯な云い方deshooo)のだけれど、これは結構残酷だよナア(じゃあ「結合」しない個の意義は?)と思いかけるけど、そういう個も無数の不連続のうちの一つにカウントされて回収されるのだな、でも!、という話でしたケド。次は汝。

 

僕にはわからない (講談社文庫)

僕にはわからない (講談社文庫)

 

トカトントン

 

 

 

 

 

 

 

「おまえ免許もってないの?」
「調理師免許?」
「いやいやなんでやねん」

 

 

 

 

 

 

 

  • 自転車が撤去され続ける街で
  • 形容詞を絶滅させたい感嘆符
  • 四半世紀ボォイ四半世紀ガァル