bohems'

複数人による交換日記

エソラエ

ふと餃子がたべたくなって、近所のスーパーまで、材料を買いに行った。

ちょっと多すぎかな、ってくらい材料を買ってしまうきらいがある。

きっと7人前くらい買った。餃子が食べたかったのは事実だけれど、本当は外に出ておきたくて、餃子を口実にした。

そんなわけだから、ちょっとわざとらしいくらいに景色を眺めて歩いた。

空が綺麗だった。

なにかの絵画でみたような印象だった。

つまりは、油絵のタッチで、雲が明確に線引きされ、そこにあるのはただの水蒸気のかたまりではなく、生クリームのかたまりのようだった。

空が絵のようだった。

'絵空事'という言葉がある。

kotobank.jp

ということらしい。

空の絵を描いて、そのままだと味気ないから、少し脚色してけばけばしくさせることをいうのだろう。

空の絵が、絵空事。

 

餃子のときの空は、絵のような空だった。

でも、もともとは絵空事の説明にもあるように、誇張されて、現実には起こらないであろうことを言い表すのが、絵空事の役目であって、落とし込む方向が逆行している。

空が絵になるのであり、絵が空になるのではない。

しかし、餃子のくだりでいうならば、

空があって、その空が絵になり、その絵が空になった。

煩雑なインプットとアウトプットの連続の結果残ったのは、現実に生まれた絵空だった。

前稿が全く踏襲されていないけれど、いいよね。ショートコントつくらへん?

次はそち。