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複数人による交換日記

ドライ花嫁

リップヴァンウィンクルの花嫁を観た。

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SNSで知り合った青年と結婚した派遣教員・七海が、新婚早々夫に浮気された揚げ句、家を追い出され、苦境に立たされたことから結婚式の代理出席、月100万円を稼げる住み込みメイドなど、奇妙なバイトを始める。

というのがあらすじというか、言ってもいい範囲の話。












なんとなく思いつきで、実家に帰った。

時間のあるうちは、青春18切符を使って、
本州を這うように、ゆっくりと帰ることにしている。

そんな道中で以前から会ってみたかった
SNSで知り合った女の子と飲むことになった。

電車旅の疲れや、飲みの楽しさで、帰るのが面倒になった。
こんな時代だから、漫喫にでも泊まって、やり過ごせばいいと思った。

そしたらSNSで知り合った女の子は朝まで付き合ってくれると言った。

漫喫に入って映画を観た。
リップヴァンウィンクルの花嫁』

SNSで知り合った女の子と、SNSで知り合った人たちが結婚する映画を。


だからといって、目を瞠るほどの意味が生まれたわけではない。
しかし、何もないわけはなく、3D映画を観るようなもので、ただ観るのではなく、
作品を違う角度から楽しむためのギミックとなったような気がした。

この作品は端的に言って、自分の今まで観た邦画の中で最も好きな作品だった。

作品の中で、くらげを愛でて眺めるシーンがある。
水槽のなかを漂うくらげは、触手が浮遊している。
くらげの神秘性に頼って、映像そのものを美しく仕上げている風の
映像をよく目にすることがあるが、これはそんなものでは終わらせていない。

くらげの浮遊感を楽しんでいるのは人だが、
それ以上にくらげもまた浮遊しながら、人が生きている様子を
楽しんでいるかのように思わせるカメラワークなのだ。

それはわたしたちが、何も考えず漂うくらげを、どこか見下して、
くらげになりたいと、子供に戻りたいと思うような感覚でみているように、
くらげもまた、私たちが苦しむ様子を、見下しながらもそうありたいと眺めるような
ものであるように思われた。

ふたりの女性がベッドの上で向かいあっているシーンでは、
死にゆく一人が、もう一人の後頭部に腕を回して、顔を抱えている。
ふたりの顔と、後頭部へ伸ばした腕のシルエットは、さながらハートマークそのもので、
ふたりの愛が時間の蓄積と共に、命の擦り減りと共に完成されつつあることを示しているようだ。

わたしの愛も、ふたりで完成すれば、どれだけしあわせだっただろう。
いまとなっては窒息してしまったそれは、わたしのなかで腐っていくが、
外に出ることなく消えていった精子のように、都合よくわたしの糧となって
いってはくれないだろうか。
切なる願いをここに託して。


遅くなってごめん。きみ。