bohems'

複数人による交換日記

夜の公園

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    本当にあった話

 高校二年生の頃、僕は他の人と同じで学校からの帰り道でよく、人は何のために生きているのだろう、とか、自分がいなくなったって何も変わらないじゃないか、などと考えてしまう癖がありました。「考えてしまう」とは言っても何か哲学的な議論を展開できる能力は僕にはなく、ただ脳内に疑問形を羅列していただけでした。そして、そんなことを考えているときに、彼女はきまって
 「そんなことで悩んでたってしょうがないじゃない」
 とか、
 「そんなこと考えて楽しい?」
 などと僕に言ってくるのです。その日も僕がそんなようなことを考えていると彼女は、「これあげる」と言って、ほとんど残っていないレモンティーの紙パックを僕の自転車のカゴに入れて走って行ってしまいました。僕は、捨てるのが面倒なだけでしょ、と声に出しかけましたが、彼女はもうこちらを振り返りそうもなく離れていってしまっているので、声に出すのを止め思うだけに留めました。
 わずかながらに液体の入った紙パックを自転車のカゴに入れたまま、僕は星ヶ丘から猫ヶ洞まで続くゆるやかな下り坂をペダルに足をかけずに進んで行きながら、先ほど彼女が駆けていった方向は彼女がいつも電車に乗る駅と反対方向であったことに気付きました。どこに向かって行ったのかに思いをめぐらせてみても、アテがなさ過ぎて思考はまったく続かなかったのですが、気がつくと坂を下り終えていて、自宅に着いたのでした。自転車を降りて紙パックの中のレモンティーを飲み干して家に入り、まず紙パックを水道水ですすいでからハサミで開き、キッチンにかかっているビニル袋にその開いた紙パックを入れました。僕の家ではそうすることになっていたのです。壁にかかった時計は十六時五十分を指していたように思います。
 僕の家では夜ご飯は十八時と決まっていて、この日も十八時に母親の作った何らかの料理を食べて十八時四十分には家を出ました。彼女と星ヶ丘の公園で会う約束をしていたのです。僕は猫ヶ洞から星ヶ丘に続くゆるやかな上り坂をペダルをこいで進みつつ、彼女は高校を卒業したらどうするつもりなのか――どうするつもりなのかというのはすなわち進路をどうするつもりなのかということですが――について後で聞こうと思いました。そんなことを考えていたら上り坂を上りきっていて、星ヶ丘マタニティ病院の前にある小さな公園に着いたのでした。公園の中心にある背の高い時計を確認すると待ち合わせの約束をした七時まではあと八分ほどありました。
 夏の終わりとも秋の始まりとも言い切ることのできないこの季節のこの時間の公園には学校帰りのカップルなどがいてもよさそうなものですが、この日のこの時間、このさびれたマタニティ公園には僕以外誰もいませんでした。
 バネで前後に揺れるパンダの遊具に座ってかすかに揺れながら携帯電話を眺めつつ彼女を待っていたのですが、いつのまにか彼女は僕の後ろにいて、僕の携帯電話の画面を覗いていたのでした。いつから居たの、と僕が問いかけると、
 「にやけながら病院のほうを見上げてパンダと一緒に揺れ始めたくらいから」
 と笑って言うのでした。僕は病院のほうを見上げていたつもりもにやけていたつもりもなかったのですが、その点については反応しないことにしました。
 それから僕たちはパンダからベンチに移動しておしゃべりをしました。しばらくして――素敵な時間というのは短く感じられるものですが、「しばらくして」というのが適切であるくらいの時間しか過ぎていないように僕には感じられていたのです――背の高い時計を見るともう二十三時十分でした。そろそろ帰らなければなりません。僕たちは
 「もう帰らないといけないね」
 「そうだね」
 と言い合い、抱きしめたい時間が終わるのを惜しむときに特有のしばしの沈黙が流れました。彼女は
 「あー、楽しかった」
 と言って立ち上がりました。僕も、そうだね、と言って立ち上がり、二人で公園の外へ向かいました。公園を出て大通りを少し歩いてから彼女は
 「じゃあ私こっちだから」
 といって僕の家とは反対方向へ歩いて行き、角のところで僕に手を振り曲がって行きました。僕は、じゃあね、と言い、彼女が角を曲がりきるまで彼女を見送り、彼女がこっちを振り返ったのと同時に手を振り、彼女が見えなくなってから自転車に乗りました。そして星ヶ丘から猫ヶ洞へ続くゆるやかな下り坂を下って行ったのです。
 それ以来、僕は彼女の姿を見ていません。彼女と会えなくなるまで僕はその事実に気がつかなかったのですが、僕は彼女の名前も住所も知りませんでした。彼女と最後に会う直前に僕は彼女の進路について思案していましたがそれはおかしな話で、夜の公園では決してそのような話題になることはありませんでした。ではどんなことを僕たちは話していたのでしょうか。もうお気づきのことかもしれませんが、それを僕は思い出せません。僕は学校での彼女のクラスも知りませんし、最後に会ったあの日以前から僕たちは知りあいであった気がしていたのですが、あの日以前の彼女に関することはもちろん何も思い出せません。友人らにこんな女性がいなかったかと尋ねようにも彼女の容姿すら僕は思い出すことができないのです。唯一、あの日僕が女性と一緒にいたところを目にしていないかという形の問いを友人らに投げかけることはできましたが、もちろん成果はありませんでした。僕が彼女について覚えていることといったら、先ほど描写したことがすべてで、具体的なことはもう何も思い出すことができません。ただあの夜、楽しかった、と彼女が言い、僕はその通りだと感じたという記憶だけが残っているのです。
 彼女はいったい何だったのでしょう。疑問形で問いかけましたが、僕にはめずらしくその答えが分かっています。これはあまりに自明なので言うのに気が引けるのですが、その答えとは、彼女は神様であるということです。神様というのがいるとしたら――そして結論から言って神様のようなものはいるのですが――それは彼女のような存在だと思うのです。それは無神論者が信じる神様であり、誰もがそれに対して祈ったことのある神様のことです。神秘としての神様、僕たちが手放しで抱きしめ、また僕たちを抱きしめる神様というのは彼女のことではないでしょうか。
 みんな今まで人生のどこかで彼女に出会っていませんか。僕がこの文章を書いたのは彼女の存在を誰かと共有して確かめたかったからです。もちろん僕に起こったことがすべてに妥当するなどとは思っていませんが、こと彼女の存在に関してはそう思われてしまうだけの力が彼女にはあったのです。