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複数人による交換日記

こどものきみには、あまい煙を燻らせて

ぼくはSNSを通して人と関わりを持つことが好きだ。
これは骨身に染みついた自分の寂しさのせいだと思う。

高校に上がって、携帯を手にして、寂しさのはけ口を見つけた。
当時、若年層の間では、携帯で簡単に作れるホームページが流行っていた。
そこで自分の話をして、社会に対して釈明をしていた。
誰かがぼくの釈明を見ているかもしれないと思うと、救われた。
思えばこの時から、ぼくのSNSを通して人を求める性は疑いようもなく存在していた。



先日、SNSを通して知り合った年下の女から、
「妊娠したかもしれない」と連絡がきた。

もちろん、ぼくはその女と肉体関係を持っていない。
ぼくの子ではない。
単なる相談だ。

聞けば、お互いに恋心を抱いているにもかかわらず、結ばれることのない恋人がいるらしい。
当人はその人物のことを、セフレと呼んでいた。

なぜふたりはそうした関係に留まっているのかというと、セフレはどうやら結婚しているとのこと。
つまり、ふたりは不倫関係にあった。

しかし、性欲とも恋心ともしれない何かがふたりを縛り付け、
ついにはセフレは女と一緒に過ごすための部屋を借りていたらしい。

そうしてふたりは部屋にいる間は常に情事に耽っていた。
セフレは「気持ちよくないから」という理由で、避妊具をつけなかった。

その結果が、妊娠だった。

軽蔑を禁じ得なかった。

一通り罵倒したのちに、それでも、相談に乗った。

すぐにおろすことになったけれども、その選択があまりに当たり前になされ、
命の軽視がなされていたように思える。

確かに生んだところで、こどもは十中八九幸せになれないことは見えている。
それゆえに、最も正しそうな判断ではあるが、
幾ばくか、感傷的な振る舞いがあってもよかった気もする。

そして、最初の連絡を受けて数日後、こどもをおろしたと報告があった。

先に書いた感傷的振る舞いに関しては自分も該当していて、
他人事とはいえ、哀しみを以て命を排除することに向き合う必要があるように思えた。

半ば強制的に、ぼくはおなかのこを弔おうと思った。

ぼくの家には線香はないので、甘い香りを放つお香を焚いて、この来世に祈りを捧げた。

ぼくの祈りは届くのか。
届いたとして言葉は通じるのか。
女をゆるすことができるのか。

なにもわからなかった。






最近、どうにも文章を書くことが億劫になってしまった。
それはおそらく、文の構成や表現の稚拙さに、態度のような形で
現れてしまっているとおもう。

気が向いたらこの文も、推敲して、もう少し読めるものにしておきたいとおもう。

取り急ぎでもないけれど、そんなかんじで次はきみ。